弥彦には思い出がある
小学校に入る直前のある朝、ピンピンで元気だった祖母が目の前で倒れて動けなくなった。命は大丈夫、意識も大丈夫だったが脳の血管のなんちゃらのせいでその後身体の左半分が不能になった。しばらくして祖母は弥彦村の隣り、岩室という地域にある岩室温泉リハビリ病院に入ることになった。
それから約六年間、日曜日はほぼ必ず実家から車で一時間近くかかる岩室まで行った。父と二人、父母と三人、父母兄と四人、色んなパターンがあったがほぼ皆勤賞だった僕はいわゆる「ばあちゃん子」だったから。そして祖母も祖母で親バカならぬ祖母バカ。さらにさらに「特別選抜祖母バカ」だった。特別選抜選手はわたし。ありがたいことに孫の中でも僕が特に一番可愛くて仕方なかったようだ。相思相愛。一緒に住んでいたし内孫とはいえ僕だけずっといつでも初日特選、予選何着でも決勝進出、決勝何着でも優勝。「優勝優勝と言ってるが、優勝って何かね?」と菅原文太に静かに凄まれそうなほどよくわからない優勝。(北の国から’92巣立ち・参照)
出れば優勝なんだから出るよね。ということで日曜日は岩室に行くという我が家と僕自身の恒例行事となった。
祖母にも家族にも不運悲運だったとはいえ人間っていうのはたくましく強いもので、二年くらい経った頃にはもうそんな特別な日曜日は当たり前の日曜日となっており祖母に会った後どこに寄って帰るか?に焦点は変わっていて小学生のわたしはそっちの方がメインイベント。祖母に会うことは仕事のような感覚。行きの車中では「さて今日はどこで飲んで帰ろう?」と朝の出勤から考えてるサラリーマンのような心境。
ごめんねばあちゃん。出勤はちゃんとするから許してくれ。何もせず酒飲んでるわけじゃないから。一応出勤して、ある程度は仕事して、多少の愛想もふりまき、出世していく同期の背中を見て心からおめでとうと思える広い心をもち、少しだけ上司の理不尽にも我慢したり、
あ、おれ、酒飲めないし会社勤めしたことなかった。
祖母の岩室への行き帰り必ず弥彦を通過する。だからというのもあり、帰りの寄りポイントとして「弥彦神社参拝」と「弥彦の山道散歩」この二つは特に多かった。
弥彦神社は新潟県でもトップクラスの有名神社でパワースポットでもあるから幼い僕もそれは理解していたが弥彦山道散歩は腑に落ちない感があった。というのも当時父が山野草・蘭・雪割草なるものにどハマりしていまして。もう、業者か?店出すのか?ってくらい家の周りをよくわからない草とか花が占拠していまして、結局後々本当の業者みたいになったんですが、そのための父の趣味による父の趣味のための父の散歩。それは新種発見チャレンジだったのかただ自然のそういうものを散歩中に鑑賞しながら「おぉ!やっぱり自然の草花達は力強い!こんな場所にこんな角度から芽を出している!こ、この色はなんだ!?やっぱり人間の手が加えられていない天然モノは凄い!」などと心で叫んで感動してたのか何なのか知らんけど、口数少ない昭和タイプの父だったから真意はわからないけど、とにかく一番長い時は二時間くらい山林の険しい道を父ちゃんのうしろをくっついて歩くという何かの修行かこれ?的な。
あの、てかわたし小学生ですよ。草・花・山、って言われても習字なら書きますよ書けますよ書きましょうか?ふつうの小学生の日曜日はみんな今頃家でファミコンとかやってますよ?ドラクエ2とか3とかやってますよ?月曜日に学校行ってみんなレベルがいくつ上がったとか裏技がどうとか話してる中で俺だけ「弥彦の山で雪割草を探して歩いてました」言えるかーーー。
まぁ子供の時だし元気にいっぱい歩いて足腰鍛える運動になって良かったんじゃね?という意見もあるかもしれませんので言っておきます。
わたくしの実家、信じられないくらい田舎で山の上にありまして小学校&中学校まで歩いて片道一時間で往復二時間×九年間+冬は豪雪地帯+タヌキ+キツネ+ヘビ+熊+野良犬+動物辞典で探しても見当たらない謎の生物出没地帯。真言宗の高僧・大阿闍梨というものになるために千日回峰行という夜中に山歩き回るとてつもない修行があるらしいですけどたぶん僕小5でなりました。大阿闍梨。なってます。悟りました。
って、くらいだったのでせめて日曜日くらいそんなに歩かせないでくれよと…。
途中で人に出会ってお話したり団子たべたりお茶飲んだりは一切ない「ちい散歩」ならぬ「ちち散歩」
いや〜今思い出してもあれは地味にキツかった。と思える。
そんな過酷な「ちち散歩」の道中、たまに風にのってうっすらと聞こえてきたのが弥彦競輪のジャン(鐘)の音だった。
ギャンブルをやらない父だったので弥彦神社や山の中には行くがそのすぐ目と鼻の先にある競輪場に行くという選択肢はなかった。
「今日は車がいっぺぇだな、競輪やってるな。」(いっぺ=多い)
そんな車中の会話で僕は競輪場というものが近くにあるということだけ認識していた。
そこからたまに聞こえてくる鐘の音。
何の音かわからないがその音が何か?という疑問はなかった。
ただただ、それが聞こえてくる時は
「また鐘の音が聞こえるなぁ、早く散歩終わらんかなぁ、帰りにラーメン屋でも寄らんかなぁ」と思いながら父の背中を見てひたすら歩いていた。
という思い出。
遠い昔の思い出。
今から十二年前、三十三歳の時に競輪を始めた
久しぶりの弥彦だったが初めて弥彦競輪場に行った
かわらない弥彦の景色
かわらない山の形とか
空気の感じとか静けさとか
「弥彦、昔よく来たっけな」
くらいのはずだった
目の前でレースが始まった
淡々と周回していた選手達のスピードが徐々に上がっていく
「シャーーー」というタイヤの摩擦音も大きく強くなっていく
そして弥彦競輪場のジャン(鐘)が鳴らされる
響き渡るジャンの音
昔、うっすらと聞こえてきていたあの音が間近にある!
うあ!この音…と目を閉じるおれ(ウソ)
◯◯行けーーー!まくれーーー!と叫びながら車券を握りしめるおれ(ホント)
はずれた!!
くそー!!
けど!
けど!
この音だ!この音だよ!!
これか!これだったんだ!!
色々フラッシュバックする
あの時の草の匂い、土の匂い、ひたすら歩く父、ひたすらついて行く自分、口数少ない父の背中、たまに「大丈夫か?」と振り返る父の顔、「ここすべるぞ」と教えてくた父の声、うっすら聞こえたジャンの音、木と木の間から差す光、父と入った病院近くのうどん屋の煮込みうどんが熱すぎた日、自分を一番可愛がってくれたばあちゃん、俺を呼ぶ時のばあちゃんの優しい声、大好きなばあちゃんが急に動けなくなった時初めて感じた何とも言えない恐怖心、、
色々、色々、フラッシュバック
もうとっくに会えなくなった二人が
久しぶりに近くにいる感じ…
まさか競輪場のジャンの音でタイムスリップ
一つのジャンの音を挟んで向こうには幼い自分が父を追っかけ歩いていて、こっちには大人になった自分が車券を握りしめ佇んでいる
「おーい、このレースのジャン(鐘)は聞こえたかー?」
弥彦の山を見つめながら大人になった僕があの頃の僕に語りかけてみたり。
「おーい!はずれたぞー!けど父ちゃんには言うなよー!」
とあの頃の自分にいらない報告してみたり。
初めて入った弥彦競輪場
その日から僕にとって弥彦競輪場はバックトゥザフューチャーで言うところの時計台の前的な、弥彦のジャンが落雷的な、自転車がデロリアン的な、とにかく何となくタイムスリップできる特別な場所となったのでした。
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